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1月23日
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昨今、政治と官僚、行政と国民、会社と雇用者等の関係を見聞きしているときに、私が感じることは、「少しでも現状を改善したい」と、

理想を抱いて大なり小なり組織の責任ある立場についた人たちが、その改善せんとする社会や人々に対して、敬意の念を失いやしないか、

ということです。このことを私は非常に大事な一線だと考えています。

いい仕事をするモチベーションを保つためには、クライアントが尊敬すべき(少なくともそう思える)存在であることが重要だと思うからです。

迂闊な(いい加減な)仕事をしてしまって、尊敬する相手の失望を買いたくないと思えばこそ、要求される以上の仕事をするエネルギーが湧いてきます。

(ここでいうクライアントとは、依頼人だけでなく、その生み出すものが影響を与えると思われる人々すべてを指します。)

 

しかし、世の中では、しばしばいい加減な仕事のほうが評価されることがあり、それが積み重なっていくと相手に対する尊敬が次第に失われ、

「現実的対応」という名の惰性に陥り、相手の望む(時に金は産むが価値を生まない、あるいは表面的なプライドを満足させはするが、

実質的な質の向上を伴わない)内容の仕事をするのが常態化する、という関係に堕ちていき易いのではないでしょうか。

そうなってしまうと、作り手と受け手がお互いを馬鹿にし合いながら、歪んだキャッチボールを続けていくような世界が生み出されてしまいます。

これは作り手、受け手のどちらにとってもマイナスにしかなりませんし、社会を魅力的にする何かが産み落とされる可能性が薄くなっていきます。

今の社会の閉そく感はこの関係が蔓延していることが一因に思えてきます。

故、筑紫哲也氏はテレビ局と視聴者の関係について、この点を指摘していましたし、映画監督のタルコフスキーも同じようなことを指摘していました。

絵の世界でも、人気やお金を第一に追い求める人には、同じような罠があちらこちらに待ち受けているように思います。

 

残念ながら、まわりの空気に流されずに自分なりの評価を(何かを生み出さんとする)他者に与えられる人はそれほど多くはいないのかもしれません。

しかし、良い仕事をしていていれば、必ずそのことを見ていてくれる人がいて、互いに尊敬し合える良好な関係をつくりだすことは可能だと思います。

 

だから理想を抱いて、何かをしようという志をもっている人達には、クレーマーや野次馬の言葉に負けずに、いい仕事をしていただきたい。